「よくやった、ペルソナ」

仮面の男が青年にゆっくりと頭を下げ、右手側のマントを持ち上げた。
マントの中で宇宙のような深い闇がグルグルと渦巻いた後
色とりどりのハンカチを繋げた布に拘束され、ぐったりとした少女が
マントの暗闇からゴロっと床に転がり落ちた。

「まさか屋敷にまで侵入してくるとは……。
――コエンマ様もよほど焦っておられるようだ」

言葉とは裏腹に表情を崩さない青年は、少女の固まった姿に視線をとめる。

「おい……彼女に何かしたのか?
契約では、傷つけないはずだっただろう」

強い口調で問えば、仮面の男はおどけた様子で肩をすくめた。

「とんだじゃじゃ馬だったもので……少し意識を操っただけデス♪
お望みとあらば、すぐにでも解けますよ」

暴れてもよければと仮面の口の端をこれでもかと不気味なほどに上げる男に
青年は不快そうな目で睨んだ。

「そこは薬の力でどうにかする。命令だ、今すぐ解け。
お前の命令で動くなぞ、不愉快だ」

仮にも僕の妻になる女性だぞと釘を刺せば、何が面白いのかクスクス笑いながら
仮面の男は笛を高く、そして長く吹いた。

「これで洗脳は解けました。
もうすぐ意識も取り戻すでショウ★」

「そうか、なら今すぐ部屋からでろ。
お前と話しているところが見つかると面倒だからな」

青年が少女を抱き起こしベッドに運びながらも
警戒するように仮面の男から視線を外さない。

その様子に心外だと言わんばかりにまた大げさに肩をすくめた後
マントを広げ、そのマントの暗闇にスーッと男は吸い込まれていく。

「ソウだ、忘れてはいないでショーね?」

足元から飲まれ、後は顔だけというところで仮面の男が声をかけた。
その声は先ほどのおどけた様子とは違い、まるで感情のない平坦で低い声だった。

「ああ、忘れていない」

仮面の口元と目が楽しそうに歪む。

「よかったデス♪――必ず対価は頂きます★」

先ほどまでとは違い、弾んだ声で笑い出す男。
その不気味さに息を飲んだが、負けじと青年も最後まで男をにらみ続けた。

男はやがてマントの暗闇に吸い込まれるように笑い声を残しながら消えていった。

少女をベッドに寝かせ、自身もベッドのふちに腰掛けて大きく息をつく。

「もうすぐだ……もうすぐで完璧な人生が手に入る」
君には本当に悪いことをしたと小さく呟き、将来の伴侶となる少女の柔らかな額を撫でた。

………
……

「ん……」

ゆっくりと少女が瞼をあけると木目調の天井が目に入った。
まだボーっとしながら目線だけで左右を見渡す。

ロココ調の壁紙、どこか分からない景色を描いた寂しさを感じる風景画。
そして施錠された窓。

そこまで視線を移動させていくうちに思考がだんだんクリアになってきた。
ハッとして体をベッドから起こそうとすれば力が入らない。
霊力を流しやっと起き上がることが出来た。

「ああ、起きたんですね」

視界の端から聞こえた声にハッと顔をあげれば
いつぞやの青髪の青年が椅子に腰掛けていた。

どうやら起きるまで待っていたのだろう。
青年が持っていた本のページが半分折り返しで栞を挟まれたのと
窓の外の景色からするとかなり長い間意識を失っていたのだと気づく。

「あっ…」

脱走が失敗したことに気づいて顔から血の気が引いていく。

「心外ですね……そんな怯えた顔されると」

困ったように笑い、視線を外しながら仕方ないかと呟く青年。

少女は再度腕を動かそうとしたが、自力ではピクリとも動かないので諦めた。
恐らく今までのように何らかの薬が使われたのが、動かない体の様子から分かった。

震えることすらできず、けれどベッドに横たわれるほど安心できない。
どうにかいつもより上手くいかないコントロールで霊力を操り
威嚇するようにバチっと体の周りで火花を散らさせれば
青年は呆れたように肩をすくめた。

「今の君のそれくらいの霊力なら静電気がはねた程度の痛みしかないですよ。
強引にさらったことを怒っているのなら申し訳ないです。
ですが僕はこれから君に最高の人生を保障しましょう」

君が望むなら物も人も全て手に入ると悪魔のような笑みを浮かべるロメオに
少女は視線を落として首を触れない代わりに拒絶の声を出した。

「そんなものは要らない。人生に必要なものがあるのなら
それは私が……自分で手に入れるべきもの!!
それでも手に入らないものならば私は望みもしないし、諦めることも出来る!!」

「今だけさ、そんなことを言っていられるのは」

「ロメオさんだって……私から見れば恵まれているように見えるよ!!
――私なんかを無理やり誘拐しなくとも、そのままで十分不自由はないでしょう!?」

キッと睨みつければ、先ほどまで人の良さそうな笑みを浮かべていた青年の顔から表情が消えた。

「君も……そう思うんですか?」

無表情のまま近づいてくるロメオにヒッと思わず息をのんだ。
近づくにつれ、だんだんその無表情が悲しそうにも見えて
少しだけ胸が痛くなる。

「恵まれた人生……完璧で何一つ不自由のない生活。
でもその中にいる人物は果たして幸福なのだろうか?」

にらみつける少女の視線をものともせず、そのままベッド横にあった
スツールに腰掛けながら青年は言葉をつづけた、少し悲しそうな顔で。

「もうすぐ婚約する君には伝えておこう。
もちろん、これを聞いて君の意見が代わることを願っているのも本心だが。
一番はこれでも申し訳なく思っているんだ」

ロメオは今までのこと、自身が心の奥底に秘めていたことを話した。

物心ついた頃から誰もが僕の人生を羨ましがったこと。
大きな病気をしたこともない丈夫な体、恵まれた容姿。
生まれたときから最高の肩書きや地位を持ち、家族の仲も悪くはない。

ただ今までどこか物質的には満たされている反面
何かが足りないという飢餓感に襲われていた。

それは年を重ねるごとに大きくなっていく。
そしてその声はだんだんと自分にプレッシャーとなっていった。

誰よりも恵まれた人生でスタートしたのだから
それに見合う暮らしや生き方をしなければならない。

「そうやって今の完璧に見える僕を作り続けて数年。
この瞬間を何度も夢に描いてきた!!

昔から人間界の話を聞いたり、本当は禁止だが
実は我が家には人間界の道具も入ってきていたんだ」

そこで初めて自分の知らない世界があることをロメオは知った。
自己中心的で、身勝手で、時には不可解な行動を起こす生身の人間。
その裏には度を越したお人よしとも思えるヒロイックな一面すら見せる。

「僕はその広さに、多様性に驚いたんだ。
そして、そこには無限の自由の可能性があることを知った時
初めて心から欲しいものが出来た!!」

熱に浮かされたような恍惚な笑みを浮かべる青年に
可哀そうだという気持ちもあったが、ぶっちゃけ怒りの方が強い。

「そんなバカげた理由で…」

「バカげてる?本当に?
――君は部屋の中だけを飛び続ける鳥の虚しさを知らないだろう?」

言いたいことは分かる、でもそれがまかり通るのは
何も知らない子供くらいだろう。

「私の両親は医者で、たくさんの患者を私も見聞きしてきた。
病室の壁に囲まれて一生を終える子供の虚しさを……考えたことはあるか!?」

それに比べて何て贅沢な悩みなんだと怒鳴れば、彼は分かっていないなとため息をはいた。

「それはそんな人生で生まれたその子が悪いだろう?
僕だって生まれや育ちを否定はしないさ。
だからこそ、こうして欲しいもののために動いているじゃないか」

根本的な考え方の違いからゾッとする。
ああ、この人には何も響かないんだろうと哀れみすら感じる。

強引で身勝手で、己の欲に忠実でそのためなら
どんな犠牲すらいとわないと言い切れる。
恵まれた人生も渇望された将来の期待すらも押しのけて
ただひたすら、自由を求めて飛び続ける強さ。

それは若さゆえの暴走と眩しさで、そしてそれが出来るのは
それを行えるほどの財力や体力、地位があるからなんだと実感すればするほど
彼の言動の虚しさ、儚さを思い知らされた。

彼は飛び続ける方にエネルギーを使いすぎて
客観的に自分のことを何も分かっていない。

そしてそれをいくら私や外野がもう十分だと言ったところで
彼の中でのゴールが決まっていないんだから
飛び立ったらもう止まることはできない。

「人間界に行きたいなら、私を巻き込まずに勝手にすればいい」

コエンマ様は認めないだろうがと呆れながら続ければ
彼はもっと手っ取り早く、確実な方法があると続けた。

「そんなの……」

覆いかぶさるように青年がベッドの上の少女に重なる。
右手を胸元から滑らせるように下腹部まで降ろし撫でながら
ロメオは待ちきれないと笑みを浮かべた。

「だから、早く君と結婚して……そしてすぐ子供を作ってもらうんじゃないか」

楽しみだね、どっちに似るんだろうかと楽しそうな声が頭に響く。
信じられない。血の気が引きながらその異常性に悲鳴すら出てこない。
ようやく絞りだした声に青年は撫でる手を止めてニッコリと人の好さそうな笑みを作った。

「僕との子供をもうければ、その子は人間界と霊界両方のパスポートを持つことになる。
それだけじゃなく、人間界在住の君と結婚した僕だってあちらへの移住権を獲得できるんだ」

「っ……でも、私と子供だけ人間界に帰られるとは…思わないの?」

「ああ……そのことなら大丈夫」

霊界の法律で、よほどの理由がない限りは子は親と引き離すことは出来ない。
だから安心して子供を作ろうねと笑う青年の声がだんだん遠くに聞こえる。

「いや…だ」

涙が流れ落ちるより先に、少女の体がベッドに沈んだ。 Page Top