身体に残った毒
霊柩車もとい霊界タクシーに揺られながら10分くらいだろうか。
車で走っているというのに、森はいっこうに抜けない。
森の中といえ、車や馬車などの往来があるのか
比較的に舗装された道をまっすぐ進んでいるだけなのに……。
聞くとまだ屋敷の敷地内というのだから恐ろしい。
「まだ私がいなくなったことに気付いていないといいけど……」
万が一ここで捕まれば、私は今後こんなに逃げられる機会はそうそうない。
きっと警備も厳重になるだろうし、何より薬も増えるだろう。
コエンマもずっと私の拉致問題に関われるほど暇ではないことも分かっている。
そして私も、彼の手引きがなければ霊界から出ることは出来ない。
だからこそ、今回でどうやっても逃げなければ。
早く、お願い……せめて敷地から出てくれ!!
心臓が痛いほど脈打つ。緊張と興奮で精神が高ぶる。
成功への期待、失敗したらどうすればいいか分からない絶望。
感情が渦巻き、焦る私を高い音がスッと落ち着かせた。
「音……音が聞こえる」
「えっ?」
隣にすわった蔵馬とコエンマが首をかしげる。
「音?」
「何も聞こえんが……」
「そんなはずは…!!」
キーンッ
高い音がもう一度鳴った。
「ほら!!またっ」
これは笛の音だと気付き、伝えようとする前に
フワッと意識が浮くのを感じた。
キーン、キーン
音が身体の周りを囲むようにグルグル回り続ける。
<<目覚めなさい、私の子ネズミ>>
低い声が聞こえた。私を誘う甘い声。
その瞬間、テレビの電源を落としたように、自分の意識も真っ暗に落ちた。
同時に身体の力も抜けて、ガクッとタクシーの椅子に座り落ちる。
その直後、タクシーが急ブレーキをかけた。
運転手の男が震える指で前方を指さす。
「あいつはッ…」
ヴェネチアンマスクの男が、派手な衣装で車の前に立っていた。
頭に耳のついた頭巾をつけ、目が痛くなるほど毒々しい色彩の服。
尖った靴と、マスクからのぞく口元が不気味に弧を描いている。
まるで道化師のような男の、禍々しいオーラが運転手を圧倒した。
「娘を……こちらに返しなさい★」
高いとも低いとも言えない不気味な声が頭をゆすった。
「どきそうにないですね……俺が行きます」
静かに、怒りを抑えた声が車内のドアを開けた。
コエンマは相手にするなと叫んだが、こいつがどかなければ車は進めない。
「ローズウィップ!!」
薔薇の鞭を出した蔵馬が、道化師の男をツルの鞭で拘束したまま
車が通れるように、道幅に引き寄せる。
「おやおや、乱暴な子だ♪」
「俺はあとから行くので、先に行ってください!!」
コエンマは渋っていたが、運転席の男の方は耐えられなかったのか
不気味さのあまり、車を急発進させて逃げ出した。
後部座席が遠くに見えるまで見つめた後、すぐに拘束した相手に向き直る。
道化師の出で立ちの男は、ずっと飄々として余裕げな笑みを浮かべていた。
おどけるようにわざとらしく肩を大袈裟にすくめてみせ
こんなことをしても無駄だと笑う。
「お前の行動こそ俺には無駄に見えるな。
これで足止めをしたつもりなら、たいして効果がないんじゃないか」
ムチを強くひくが、男は苦しむ様子もなく笑い出した。
「面白い子ですネ♪ワタシの目的ならバ果たされたのデス♪」
動きを拘束されながらも、道化師はおもむろに笛を口元に寄せると
ピィーと高い音を奏でた。
それが合図かのように、森全体が揺れる。
ビリッとした空気のあと、蔵馬に直感が走った。
元盗賊の感。すぐに薔薇の拘束をといて少女とコエンマを乗せた車が
走っていた方向に視線を送る。
一瞬だった。遠くからでも分かるほどの爆発音が響いたのは。
音に遅れて、煙があがるのが見え息をのむ。
「おっと、行かせません★」
確実にタクシーの去っていった方角からあがる煙に
何かあったと察するも、道化師の男が行く手を阻む。
「ネ、ワタシは無駄ではありませんでした♪」
仮面の目元がぐにゃりとゆがみ、笑うように目を細める。
「なら……俺はお前を倒して向かうだけだ!!」
ローズウィップを構える蔵馬に、道化師の男は肩をすくめた。
「ワタシを倒す?――そんなコトしてもイイんデスか?」
笑っていた面が、無表情に戻った。
男が笛を吹く。今までよりも一番長く。
呼応するように、笛の音で森が揺れる。
なぜか頭に響くような奇妙な高い笛の音が不気味なメロディーを叶えれば
道化師の男がカウントダウンを始めた。
「3・2……おっと…」
爆風にのまれたのか、白いワンピースが所々焼けた少女が
銀製のシャベルに足を乗せ、宙を舞っていた。
「これはこれは……ずいぶん早い到着デス♪」
男が指を鳴らすと、ボーっと遠くを見つめていた少女の瞳が閉じられ
そのまま頭から真っ逆さまに落ちた。
「!!」
蔵馬が薔薇の鞭で引き寄せるよりも先に道化の男が抱きとめた。
抱きかかえる男の仮面は怪しく歪んでいる。
「フフフッ♪身体に残った毒が効いているのデス★」
「身体に残った毒……!?」
男の言葉に、蔵馬は少女の意識を混濁させるために使っていた幻覚剤に
こんな催眠的な効果があったのかと少女に意識を集中させながら冷静に分析する。
道化の男は蔵馬の考えていることを見通すかのように、毒は毒でも
あんな屋敷にあった毒ではないと笑った。
「1284年、聖ヨハネとパウロの記念日……
ワタシの笛の音に誘われた子供達よ♪」
道化師の男がマントを広げると、突風が吹き荒れた。
マントの奥から風にのり、子供の悲鳴が聴こえてくる。
「これは……子供の魂か!?」
目の前をおびただしい霊魂が駆け抜けると
蔵馬の体に、小さな手がしがみついた。身動きを拘束され、苦い顔で霊魂を払う。
その間にも目の前の男はマントの闇に飲まれるように小さくなっていく。
「まっ…まて!!」
「これで500番目の娘デス♪」
そう言い残すと、男は完全に蔵馬の目の前から消えた。