隠密の薔薇
「蔵馬……後は頼んだぞ」
コエンマに少年は頷き、帽子を深くかぶりなおした。
当然、目立つ長い赤髪も今日は帽子の中に仕舞われている。
犯罪者の身分でまた霊界に来れるとはと感慨深く思いながらも
今は少女の奪還が先だ。
現在、屋敷では不自然なほど急ピッチで挙式の準備が行われている。
そのためパーティー、そして婚約発表の時同様に人の出入りは比較的行われていた。
しかし相手も警戒を怠っているわけではないだろう。
そこで元盗賊として隠密行動が得意な蔵馬に白羽の矢が立った。
本来であればワシも行ければとコエンマも嘆いたが
コエンマは先日のパーティーで面が割れている。
パリッと燕尾服をまとった蔵馬は、屋敷に難なく侵入すると
注意深く行きかう人物を伺った。
瞳が警戒心から細まる。映像で見た青年が今回の首謀者だ。
そいつには一番注意しなければと帽子を深くかぶりなおすと
隠密用の笑みに切り替えて、流れるような動きで自然に人混みに紛れていく。
「この度はご成婚おめでとうございます。
祝いの花束も届いておりますが、どちらに飾ればよろしいでしょうか?」
思ったよりも難なく潜入できただけでなく
かなり早くターゲットに接近できたので蔵馬は呆気ないなと内心苦笑いした。
屋敷の外は割と体格のいい黒服が囲んでいたものの
中に入ってみれば警備はかなり手薄だ。それどころか
忙しそうに宝石商やドレスの仕立て屋、メイドなどの従業員が
行き来しているため、誰も侵入者の蔵馬に眼をとめることもない。
大ぶりの薔薇の花束を抱えた蔵馬は花屋か
忙しすぎて臨時で追加した使用人の一人だと思われた程度だろう。
ちらりと目の端で青髪の男をうかがうも、彼は特に警戒すらしていない。
体格も少し細身、自分がいうのもなんだが優男という印象をうける。
身のこなしは華麗だが、武を学んだ者のような覇気などは感じない。
よくも悪くも、一般人の金持ちだ。花束を少女の横のテーブルにあった花瓶に飾るように言われ
それを丁寧に飾る仕草をしながら、視線では少女をうかがう。
「分かった。行きます。――あ、花を飾ったら出て行ってくださいね。
すぐに彼女は、ドレスの着付けが待っているようなので」
入ってきた従業員に何か耳打ちされたロメオは静かにうなずくと
予想外にも少女と蔵馬をおいて出ていった。
「こんなにも警戒されていないとは……」
呆気にとられながらも、すぐに思考を盗賊モードに切り替える。
花を整えていた手をとめると、すぐに部屋の中央に立ち
部屋中を見回した。もちろん少女を含めておかしな点がないかを探る。
部屋にはこれと言っておかしな点はあまり見当たらない。
普通ならばそう判断するだろうが、蔵馬の目には見覚えのある花がうつった。
つかつかと近づき、しおれかけの花が1輪雑に花瓶にいけてあるのを手にとる。
「これは……魔界のエンジェルトランペット」
ふと部屋に入ってきた時から香っていた独特の甘い香りの正体はこれだったのかと納得する。
人間界にも存在するこの花は和名でキダチチョウセンアサガオとも言う。
幻覚作用だけでなく、意識混濁や吐き気、倦怠感、最悪の場合は死に至る有名な毒草の一つだ。
一見すると下向きに咲いた黄色いラッパ状で大ぶりの花が特徴的な美しい見た目をしているが
厄介なのはその匂いを直接嗅いだだけでトランス状態になる程の毒性の高さ。
今は枯れかけ、あまり毒性を発していないが少し前はもっと毒が強かったはず。
実際、この甘い匂いをずっと嗅いでるとフラフラしてきた。
危ないと慌てて手元から花瓶にうつし、距離をとった。
「木になるはずのこの花がなぜここにあるのか……そしてなぜ人間界産ではなく
さらに強力な魔界産がここにあるのか」
あの王子気取りのロメオという男だけでは到底無理だ。
魔界に精通する協力者がいる。
思っていたよりも面倒だなと息をはくが、少女を奪還するためにはやるしかない。
まずは少女を連れてこの屋敷から出る必要がある。
屋敷をでてすぐの森でコエンマと合流すれば
人間界へとすぐに帰還できる手はずだ。
「意識はある。――俺のことが分かる?」
目の前で指を揺らすが反応が鈍い。
蔵馬を見上げて、小さく首をかしげる少女。
「わか……ない」
思考力も落ちているみたいだ。記憶喪失の線は薄いだろうから
薬さえ抜ければじょじょに意識を取り戻すはずだ。
「この薬が効けばいいが……」
幻覚剤を打ち消す効力のある液体が入った小瓶をポケットから取り出した。
この薬は万が一のために麻薬から持ってきていた花の茎から抽出した薬だ。
これ単体だと毒になるが、この薬の面白い点は
全ての薬物を接種した状態で服用すればその効力を強い毒で消し去ってしまうこと。
もちろん、服用後も虚脱感や頭痛が数日続くなどの副作用もある。
しかし今ここで幻覚で意識が朦朧としている彼女を連れて帰るのは難しい。
それに幻覚剤には中毒性もある。早く身体から抜かなければ。
ごめんと一言告げるとグイッと小瓶をくわえ、少年は液体を口に含んだ。
すぐに長い指先が少女の唇を開かせると舌を差し入れて薬を移する。
薬を移動しおえたのを確認して、名残惜しく唇を離した。
塗れた少女の唇に吸いつきたくなるのを呑み込み、指先でその唇を抑える。
そのおかげで吐き出すこともせずに、ゆっくりと少女の喉が動いた。
無事に薬を飲んでくれたことに一息つく。
「こんな風に君とファーストキスをするつもりじゃなかったんだけどな」
さぁ、これが効けば後は屋敷からどうにか連れ出さなければ。
即効性はないが、10分もあれば効いてくるはずだ。
コンコンとノックの音に我に返り、とっさにベッドの下に隠れた。
声がしたのち、数人の女性が部屋に入ってくる。
「ドレスのデザインはもうロメオ様に選んで頂いてます。
様はそちらにお立ち下さい。さっそく採寸しましょう」
ベッドの下から少女の足が動くのが見えた。
そしてすぐに床に落ちるワンピースと。
やばい……。チラッと見えた白い下着に視線を外しながら顔に熱がこもる。
これでも経験豊富で通ってきたんだけどなと内心苦笑する。
耳も塞ぐべきかと思ったものの、何か異変を感じれば
すぐに動けるようにしなければならないジレンマで揺れる。
その間も柔らかい肌が、大きいなど色々聴こえてきて
俺は何を動揺しているんだと心の中で一喝した。
しばらく会話や服の着せ替えの衣擦れの音が聴こえたが
相当急ぎなのか採寸を終えるとすぐ出て行ってしまった。
「出てもいいかな」
ゆっくりとベッド下から這い出て服についた埃を払う。
少女に視線をやれば、じっとコチラを見ていて息を飲んだ。
「俺のこと分かる?」
近づき、顔をうかがうがまだ思考はぼんやりしているらしい。
どれだけ幻覚剤を使ったんだと悪態をつきつつも
奥の手を使うしかないかと静かにため息をついた。
それはあの薬が効きにくい場合に使われる手段。
服用者にショックを与える。――それは肉体的でもいいし、精神的なものでもいい。
ただハッと我に帰るほどのショックを与えなければならない。
あまりこの手は使いたくなかったなと視線を下げれば大きく吐息で上下する胸が目に入った。
ごくりとつばをのみ、なるべく見ないように少女に一言詫びる。
「これしかない……すまない…」
自分に言い聞かせるように呟いた後、深呼吸をし
少年はおもむろに利き手でその大きな乳房をわしづかんだ。
少女の生気が抜けた瞳が一瞬の間を置いた後にすぐに見開かれる。
すぐにその瞳がゆっくりと、掴まれた胸へと動いた。
同時に少女の青白かった頬に赤味が増していく。
「いっ…意識もどっ」
確認する蔵馬の声を遮るように、部屋にバチンッと乾いた音が響いた。