生気を失った瞳で見つめる少女の、柔らかな頬を撫でる。

「君のおかげで…こんなにもうまく事が運んだ」

ありがとうと微笑むも、少女はそのまま何も返さない。
その様子に笑顔を絶やさなかった青年は、端正な顔を崩し舌打ちをした。

「薬と洗脳が効きすぎたか?」

ペチペチと少女の頬を叩いたり、目の前で手を振って見せるが
少女はイスに腰かけたまま動かない。

「あーあ。泣き叫ばれるのもキツイけど無反応だと面白味がない。
意識がハッキリしてた頃の君は、すごく可愛かったのに」

拗ねた顔で口をとがらせるも、少女はハイとしか答えない。
その様子に青年は少し苛立ったが、すぐに当時を思い出したのか
ニヤッと美しい顔を歪ませた。クツクツと肩を揺らして笑う。

「幼い顔が恐怖で歪むのは少し加虐心かぎゃくしんが煽られたよ。
あの時のことを思い出すと興奮してきた♪」

少女をゆっくりと抱きしめ、耳元でささやく。

「コエンマ様、コエンマ様って助けを求めていたね。
でも無理だよ。もうここまで来ればアイツにも止められないさ」

熱い息をはき、頬を染めた青年はニコリと少女に微笑む。

「早く僕の子を産んでくれ。霊界と人間界をつなぐ子を。
僕はそれでようやく人間界への永住権を手に入れられるかも知れない。

――大丈夫。人間界の女とするのは初めてだけど
霊力が高く、霊界とも干渉かんしょうの強い君ならきっと
僕の子をはらんでくれるはずさ」

「……やっ…やっ」

「おっと、意識が戻ってきたのかな?
でもまだ混濁こんだくしてるようだね。
早く薬をうってもらわなきゃ」

少女の表情は変わらなかったが、静かに頬を伝う涙が
青年を拒絶した証だった。

それを見て青年も呆れたようにため息をつくと
諭すように囁く。

「確かにきっかけは強引だった。でも、僕は君以外の妻を作らないし
僕の妻になってくれるのなら不自由はさせない。
服も、宝石も……君が望むのなら君のために尽くす奴隷だって与えよう。
それが僕のせめてもの贖罪しょくざいさ。――こう見えて少しはすまないと思っているんだ」

「かえ……して」

少女の拒絶もむなしく、部屋に入ってきた黒服の男に青年は薬をと命じた。
すぐに少女の腕に薬物が打ち込まれる。投与された薬の影響でまたグタッと
気絶したように少女は倒れこんだ。青年はそれを抱きとめながら
少しだけ苦しそうに、眉をよせてポツリと願いごとをするように呟いた。

僕と堕ちてくれと。


………
……
その頃少女は、意識の海で溺れていた。

落ちていく。ゆっくりと海の底を。
そんな感覚だった。ふわふわと水中にいるような
独特な重力の中で私は、上にあがろうと必死にもがくでもなく
ただただそのままゆっくりと落ちていくのに身を任せていた。

何もしたくない。とても心地がいい。動きたくない。
でもどうして?動かないでいいの?そんな疑問も少しだけよぎる。
思い出さなきゃ、とっても大事なこと。
でもそれってなんだっけ?伸ばしかけた手をゆっくりとおろした。
大事なはずなのに……どうして何も思い出せないんだろう。

もしかして、思いださなくてもいいのかも。

遠くに男の声を聞きながらゆっくりと意識を水底みなそこに沈めていく。
それが一番楽で、心地よかったから。

「おい…薬をやりすぎじゃないのか?
僕の言葉も聞いているか分からない。
しばらく洗脳状態……もしくは少し記憶を飛ばすだけでよかったのに」

「へへっ、坊ちゃん。それが一番むずかしいんでさぁ。
それにこのガキ、薬だけじゃねぇ…洗脳も効きすぎちまう」

完全に理性で制御しているタイプだと頭を指さしながら黒服の男は笑った。

「こういうタイプは普段抑えすぎている反面、抑えがなくなると
一気に堕ちちまう。まぁある意味純粋とも言うがな」

荒い息で汗ばみ、前髪が張り付いた少女のおでこを撫でロメオは呟いた。

「苦しそうな顔をしている。どんな夢を見ていると思うかい?」

「夢……ですかい?」

「ああ、夢さ。僕は今まさにこの瞬間こそが
時々都合のいい夢じゃないかと感じるんだ。
寝ている時に見る夢も含め、すべてが嘘っぽくて
ニセモノのように思えて仕方ないんだよ」

「何を言うんですかい?アッシから見りゃ
坊ちゃんみたいな人生は誰もが憧れますぜ」

男をちらりと見た後、青年は視線を落とし呟いた。

「だからウソっぽいのさ」

とても小さく、まるで自分にだけ聞かせるように呟いた言葉は
きっと誰にも届くことはない。

ロメオは、すぐに人の良い笑顔に切り替えて男に向き直る。

「さぁ、悪夢を最後までやりきろう」

結婚式まで君は目覚めることはないと囁いた言葉に
返事の代わりに零れたのは透明な雫だけだった。 Page Top