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………
……

秀一しゅういちっていうのは人間界での俺の仮の名前さ」

……やっぱり。会話していた時も何度も蔵馬のことをそう呼んでいた彼女。
そしてそれに全く疑問を持つこともなくその名で呼ばれているのが当たり前のように接していた彼。
驚く幽助には悪いけど、全て合点がいく。

ただその後に告げられた仮の母親だとか父親が過去に亡くなっていたことなんかは
本当に面食らった。だって、彼は妖怪サイドだとばかりに思っていたから。
失礼だけど、人間くさいなってことに驚かされたのだ。
今まで妖怪は一種の仲間などのコミュニティーには属していたものは見たことがあった。
しかし、人間を家族と呼んで生活をともにするのは見たことも聞いたこともない。

「15年だまし続けて育ててもらったってわけさ」

「15年間だましてって……でもあの人はまるで本当のお母さんみたいでした」

「……そうだね」

私の本心から口にした言葉に、彼はポーカーフェイスを崩して
ようやく驚いたような顔をしたが、すぐに何かを諦めたような笑みで笑った。

そして、妖狐の蔵馬として過去には妖怪だったことや
封印や暗号をといて古代の宝を盗むいわゆる盗賊だったこと。

「妖狐…盗賊……」

何か頭に引っかかる気がした。
思い出したい記憶がなかなか思い出せない時のよう。
しかし彼は私の小さな呟きに気付かずに、そのまま続けた。

「しかし15年前、強力なハンターにかなりの深手を負わされた」

その後、霊体の状態で人間界に逃げ込みある夫婦の子供になった。
彼は10年くらい我慢し妖力が回復するのを待って姿を消す予定だった。

「でも……なんで」

「そうだぜ、それが15年もよ……」

私の疑問も代弁するかのように呟いた幽助に静かに頷く。
妖狐としての記憶も持っているとすれば、15歳の見た目に反して
彼は私達の同年代どころかよっぽどおじいちゃんの年齢だ。

そんな彼なら10歳で世間に出ても上手く適応できただろうし
妖力が回復できたのなら、いっそのこと魔界に帰ることだって……。

「あの人……母さんの病気治らないんだ」

「えっ…」

「そんな時、やつらが現れた。――闇の三大秘宝の盗みの仲間に入らないかとさそわれて
自分の望みのかなう暗黒鏡のことを思い出してね」

「それで……」

まさか、この鏡で……。

まだ状況が飲み込めない幽助をよそに、バッと弾かれるように顔をあげた私が
よほど思い詰めたような顔をしていたのか、少し悲しそうに笑い頷いた。

「この暗黒鏡を使って、彼女を助けたい」

「……っ」

声にならない悲鳴を飲み込んだ。一番辛いのは彼だというのに
私まで泣きそうになってはダメだ。
わかっているけれど、何て悲しい話なのだろう。

「それさえ叶えば宝を返して俺はエンマ大王の前へ行き審判をうける」

「なぜ…妖怪が人間に対してそこまで」

幽助の言葉に、蔵馬も我ながらどうしてだろうと笑った。

「でも、一つだけハッキリしていることがある。
――俺は彼女にとても世話になった。俺の本性を知らないで健気けなげに俺を育ててくれた。
彼女が病気になった時、初めて思ったんだ。恩返しがしたいと……」

「なんで俺らにそんな話を」

「誰かに聞いて貰いたかったのかもな。――それに」

蔵馬の細めた翡翠の瞳とぶつかる。
彼は一瞬私のことを見た後、すぐに視線を外して呟いた。

「……何より君らは俺を信用してくれた」

風がやけに騒がしく、屋上に干してあるシーツを激しく揺らしていた。
それはまるで彼の……蔵馬の思いがけない話を聞いて戸惑う私達のように。

しばらく何も言えずに私達は黙り込んでいたが、その静寂を壊すように
慌ててかけつけたナースの声で私達は我に返った。

「秀一くん!!お母さんがっ」

急いで病室に戻れば、先ほどまでガランと殺風景だった部屋が
精密機器やら管やら、医師、ナース達が集まって緊迫していた。

私達は外で待たされることになったが、病室から出てきた蔵馬の表情からも
ただごとではないことが分かる。

もう一度、屋上にあがってきた私達は蔵馬に暗黒鏡を今夜使うと告げられる。

「でもっ願いを捧げるには」

「あるもんが必要だって聞いたぜ?」

「蔵馬さん…それ分かってるんですか?」

少し間を置いて彼は伏せていた顔をあげた。

「分かってる。――それは命さ」

………
……

「暗黒鏡よ、月の光をうけ目覚めたまえ」

私も、幽助も止めることは出来なかった。
だって、蔵馬のお母さんが死にそうになっているのに
もし蔵馬に辞めろといえば、蔵馬のお母さんが死ぬことになる。

けれど、敵として会ったものの
ここまできて少し情がわいている蔵馬を見殺しにも出来ない。

どうにか彼もお母さんも死なない方法はないのか。
祈るような気持ちで儀式を見つめるしか出来ない自分が歯がゆかった。

「そのおもてに我が望みを映し出す力を示したまえ」

すっすごい、なんてエネルギー!?
黒光りする稲妻のようなエネルギーが満月の力を浴びて天にあがっていく。

やがて鏡には蔵馬のお母さんの顔が浮かび上がる。

『この女の幸せな人生、それがお前の望みか?』

「そうだ」

鏡の中心で決意したように呟く蔵馬に、幽助が声を荒げる。

「おいっ――お前間違ってねぇか!?
彼女が助かったってお前が死んだらなんにもなんねぇーじゃねぇか!!」

幽助の言葉も分かる。私だってそう言ってやりたかった。
だけど、そうすれば蔵馬のお母さんの命を諦めろと言うことにもなる。
私は卑怯にもどちらも諦めろとは言えずに唇を噛みしめることしか出来なかった。

「っこれしか方法がないんだ!!」

鏡がまばゆい光を放った。

「それで彼女が助かるならば…」

『よし…では望みどおり願いを叶えてやろう』

鏡からは稲光するエネルギーが放出され、彼の命を少しずつ削っていく。
苦しげだが、どこか決意を固めたような彼に私は思わず
小さな手をその鏡へと伸ばしていた。

「くっ…っあああ」

唇を固く結んで悲鳴をこらえようとしたが、あまりの痛みに悲鳴がもれる。
そんな私に続いて、幽助も大きな手の平をかざした。

「何をする!?」

「あっぐっ…かっがみっ…きいて!!」

痛すぎて大きな瞳が涙で溢れそう。
転んだ子供が泣かないように泣きべそをかいているような顔で
鏡に問いかけると鏡はなんだと声を返した。

あ、やばい……何て言うか全然考えてなかった。
痛みの中で、冷静に焦る。やばっえーっえーと、どうしよう。
ただ時間を引きのばして、どうにか助かる方法しか考えてなかった。
痛すぎて押し殺したような悲鳴ばかりこぼす私に幽助が意を決して叫ぶ。

「――俺の命を分けてやる!!」

ハッと弾かれるように幽助を見ると、幽助は決意を固めたような顔で頷いた。
そっそうだ。そうすれば…。

「わっ私もっ…わける!!そうっすればっ…蔵馬も幽助も……助かるよね!?」
唇を噛みしめすぎて、血がにじんでいたが構わなかった。

「何を考えているんだ2人は!?」

蔵馬の制止に、泣きべそのままで、首をふった。

「いっ…いきてっ蔵馬。あなたがいないとっぐっ…お母さんは幸せになんかっ…なれない!!」

「ああっ!!息子が死んだ後の母親の泣き顔っアレは見られたもんじゃねぇぞ!!」

幽助……。死んで生き返ったいきさつを聞いた私の胸にも刺さる言葉だった。

「きっきいて鏡!!独りぶんのっいのちを…うっ…さっ三等分すれば全員っ助かる…でしょ!?」

確かめるように、けれど決意を込めた魂の叫びだった。
私達はまだ若い。3人とも死んでたまるか。

その時、一番まぶしい光があたりに飛び散ったかと思えば
そのすさまじいエネルギーに吹き飛ばされた。

………
……

「あ…あれ、いっいてて」

痛む身体で起き上がれば、ぼたんに抱きしめられて悲鳴をあげる。

「ぼっぼたんねーねー!?どっどうしたの!!」

「良かったぁ…ちゃんも幽助も生きてて!!」

ガバッと抱きついた腕をはずして、自分の腕で身体をさする。
身体のあちこちが筋肉痛みたいに痛むものの、他は特に異常も無い。

「いっ生きてる……?あっ――それなら蔵馬は!?」

「あっそれならよ」

幽助の指さす方角を振り返ろうと慌てて身体を動かしたが、よろめいた私に
後ろから抱きとめるように受け止めた大きな手に小さく悲鳴をあげる。
おずおず振り返ると蔵馬が立っていた。

「ありがとう…

「くっ蔵馬さん!?いっ生きてたのっあっでも、お母さんは…」

短時間で色んな事が起こりすぎてパニックになる私を落ち着かせるように
肩に手を置いた蔵馬は、小さな私に目線を合わせるようにしゃがむと頷いた。

「2人のおかげで母さんは助かった」

思い詰めたような様子が消え、穏やかな表情になった彼に思わず涙がこみあげそうになり
恥ずかしくて慌てて頷いた。

「よかった。蔵馬さんもお母さんも生きててっ」

涙声にならないようにゆっくり呟いた私をしってか知らずか、蔵馬は強いくらいに抱きしめて
私の肩に顔をうずめて、礼をのべた。

「ありがとう……ほんとにありがとう」

後ろで俺もいるんだけどよーと呟く幽助の声も遠く聞こえる。
ドキドキする心臓はきっと助かって良かったからだと思うことにした。 Page Top